募金は黙って行うものだ、人に話すのは偽善行為だ!という怒りの反応です。
どちらの反応に愛があると思いますか?
また、では、義援金、募金をしたことを話すのがいいのか、黙っているのがいいのか、ですが、私が好きなスピリチュアルな考え方は、行為の背景に愛があるかだけが問題という考え方です。
つまり、募金の事実を話す時、周りによく思われようと話すか、純粋に愛を広げたいと考えて話すか で、愛の広がりが変わるようです。
ここでも、答えは愛でした。
私も、義援金への募金を行っています。
意識の中では、ただ、それが広まって欲しいと感じているつもりです。
金額は問題ではありません。
気持ちが、愛として必ず届きます。そして、このエネルギーを話すことは悪いことではないと思います。
災害援助に関して
災害援助には、いろいろな方法があります。
こうして、瞑想で愛を送ることもその方法の一つですし、被災地で助けること、上記の募金をすること、メッセージを送ること、それぞれが、素晴らしい援助です。
この援助に関して、どの方法が他より良い、という優劣を争うのは意味がありません。
それぞれが素晴らしいのです。
その方法論の比較でいがみあうエネルギーは愛から離れます。
私が目にした例でもUNICEF派と赤十字派でのネット上での激論(どちらに募金するのが正しいかという正邪の決着をつける論争)
被災者の心情を考えて悲しみを共有するのが一番でそれ以外はすべて不謹慎と考えて周りを責めるなどのケースがあります。
今、地球は、まさにこうした論争を終える、最後のチャンスだと思います。
常に、愛を選びたいと思います。
また、転送・転載は全てご自由に、愛の拡散を希望します。
では、本日は以上です。
最後までお読み頂きありがとうございます!
礒 一明
去年の暮れにフモスのレシピーを頂いた者です。
その時に頂いたメイルアドレスに
3月の日本への黙想のメイルを一方的に送らせてもらってからかなりたってしまいましたね、実はその後ずーっとご無沙汰(カマラさんのサイトを訪れる事)してました。
今日何故か急になんとなく気が向き訪れさせてもらったら、私の送ったメイルをサイトに載せてもらってた事を知りました。大変遅くなりましたが、その節はどうもありがとうございました。
”今回の震災で、自分がこんなに日本と深い繋がりを感じた事はありませんでした。そしてニュースを聞き即なにかをしないではいられなかったのです。”
ということでした。
それでは良い夏をお過ごしください。
短いですがお礼まで。