輝く☆ スペイン・アンダルシア地方でのエピソードをご紹介します♪
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Rasata からのメール
punta sun set
今日は肝臓のクレンジングをした。
これをすると、自分の深い内側で起こっていることがよく観える。
身体の浄化だけでなく、瞑想なのだ。
これを教えてくれたのは他でもないAnasha.
昨日彼女とスカイプで久しぶりに話した。
何気ない会話の中で自分の無意識だったことが意識の層に現れてくるのがわかった。
ARUNのAnubuddha & Anasha.
こういった人生の先輩を持っている私は本当に恵まれている。

本当は日本旅行の続きを書く予定だったが、Rasataからのメールをもらい読んでいたら、グラウンディングしてきた自分を感じることができた。

ARUNは、私にとって闇夜の月明かりのような存在である。
今生でそれに巡り会えていることは何と幸福で、何と至福に満ちたことであろうか。

ドイツに住むRasataとは年に一度会えるかどうかだが、ARUNを通じてしっかりとした信頼と繋がりがある。お互いに身体を通じての瞑想の助けになる情報をこうしてインターネット上で時々やり取りするのだが、そのタイミングが絶妙にぴったしカンカン!
なので、今日はそれを是非シェアしたくなった。




ドイツ版和尚タイムズのアルーンの記事


身体、内側への扉(ドイツ版和尚タイムズ2010年2月号掲載, ヴィラによる記事)
 
アヌブッダとアナーシャは、35年以上も、タッチのアートとマジックの探求に、捧げています。
インド、日本、タイ、ヨーロッパやアメリカ等の国々で、彼らの智慧と情熱を、
他の人々に分かち合ってきました。
アヌブッダは、和尚の個人的な指導のもと、ディレクターとして、和尚ヒーリングアカデミーを
立ち上げ、和尚ネオ・ヨガや、ハラ・アウェアネスを構想し、和尚リバランシングや
和尚クラニオサクラル・バランシングの共同による設立と、その発展に貢献してきました。

アルーンコンシャスタッチは、総合的ボディワーク、ブレスワーク、そして瞑想を、
独自に統合した、身体、精神、感情への気づきを開花させていくためのものです。
 
私は、南スペインのとても素晴らしい山の中で、アヌブッダとアナーシャに出会いました。
ちょうど、2週間に渡るトレーニングコースが、終わったところでした。
そこでの目一杯インテンシブなグループプログラムや、残暑の厳しさにもかかわらず、
二人は、とても、すっきりとして、エネルギッシュに、ユーモアに溢れて、
注意を向けてくれました。
 
私たちは、美しい風景の静寂に満たされた、彼らの小さな部屋に一緒に座り、
お茶を飲みながら、彼らの生涯のプロジェクトである、
アルーンコンシャスタッチ(意識的なタッチ)について、語ってくれました。
 
アルーンとは、サンスクリット語で、“夜明けの光”を意味します。 スペイン語では、
“宇宙の調和” を表す “ARmonia”と“UNiversal”の二つの単語を組み合わせたものです。
それは、この人気ある両リーダーが、まさに、ここでやろうとしていることです。
意識の光と繊細さを身体に向けること、それによって、人生のあらゆる領域で、
調和、健康と活力が体験されうるのです。
 
二人と共に過ごすと、彼らの教えていること、つまり、瞑想への愛やタッチの探求にかける喜び、
そして人々と心からの出会うことを、彼ら自身が、誠実に生きているのが、すぐにわかります。

anasha mazagon
 

アルーンが、人生に現れる
 
アナーシャは、和尚に、夢中になり、ランチ(オレゴンの和尚コミューン)を訪れ、そこに
留まりました。そして、アヌブッダと出会い、彼らは、カップルになりました。その後に、
プーナ2の時代、コミューンのクリエィティヴな時期が始まったのです。
 
和尚の身体は、毒を盛られた影響で、苦しめられていました。
アヌブッダは、和尚に、セッションを開始し、そこで、彼は、ほとんど毎日のように、
和尚に、身体に関しての質問をしたり、和尚からの自発的なヒーリングの観点へのコメントを
聴く機会を得ました。
 
彼は言います。「何という、恩寵でしょう! 和尚の手に触れることは、
まるで、神聖な領域に触れるようです。
それにもかかわらず、彼は全く質素で、ごく当たり前の普通の人でした。 
まさに、これらのセッションが、言わばアルーンの出発点となりました。
 
和尚は、一つのタッチのスタイルだけでは、満足しませんでした。ある日は、
クラニオサクラル療法を希望し、翌日には、深いマッサージを、また別の日には、腰を揺らしたり、
あるいは、エネルギーラインにタッチしたりという具合です。 

彼は、骨や、筋肉、体液などのエネルギーフィールドを見つめ、そこに、呼吸が通っていくことを、
望みました。彼の痛みとは反対に、(痛みは、非常に強かったに違いありませんが)、
彼は、完全にリラックスしていました。 
 
私にとって、それは、途方もない感動的な体験になりました。
和尚とのワークで、痛み、ヒーリングとタッチにおける、私の全ての観念が、根本的に、
変わってしまいました。 
タッチが、ひとつのシステムの中で、制限されたり、身体の一つの部分が別の部分と
分離されてはいけないということを理解しました。

和尚は、私に言いました。
“アヌブッダ、 身体を愛すること、身体を思いやること、身体の神秘に深く入っていくことを、
あなた方に教えないような教育は、あなた方の意識が、さらに先に進むこともまた、
教えることはできない。身体は、扉だ。 身体はあなたを導くステップストーンだ。 
身体と意識のつながりを無視するような教育は、不十分などというものではなく、
その弊害ははかりしれないゆえに、全くもって、破壊的だ。
 
あなた方の内側で、意識が、開花することだけが、
唯一あなた方をその被害から守ることができるのだ。
そして同時に、あなた方を途方もない創造性へと、突き動かしてくれるだろうー
それは、この世界に、より多くの美をもたらすだろう。
この世界に、より多くの心地よさと喜びをもたらすだろう。“」

人々に、身体との慈しみに満ちた付き合い方を教えることを、
第一の関心事にしなければならないと、和尚はアヌブッダに教示を与えました。
 
アヌブッダとアナーシャは、このことを心得ました。
「そう、これよ! このことが、まさに、一番肝心なポイントよ!!」
こうして、アルーンコンシャスタッチのプロジェクトが、生まれました。
 
彼らは、共にトレーニングを作り上げていきました。
その中には、ボディワークのそれぞれの形式が含まれています。(彼らにとって、アルーンは
ワーク(仕事)ではないので、ワークという言葉を使うこと自体に、支障がありますが。)
テクニックに関しては、全くオープンです。
 
彼らにとって、最も大切なことは、内側から、その人が、自分の身体を感じ、
意識をさらに広げることができるように、そしてそれを通して、
自分自身へのより多くの理解と愛を見出すことができるように、タッチするということです。
 
アナーシャ「アルーンでは、判断したり、分析したり、比較したりしません。
身体に、愛に満ちたプレゼンス(臨在感)をもたらして、その瞬間に、起こることを、
シンプルに知覚するの。今ここに、あなたをつなげるツールが、呼吸よ。瞑想は目的地ではなく、
私たちがタッチを練習するまさに、その土壌なの。」
 
アヌブッダ「私は、どんな人とも、その人を治すという約束はしません。多くのテクニックが、
ーリバランシングもそうなのですが、システムになっていて、 
緊張を軽減するためのマニュアルがあるとさえ、言えます。
しかし、私は、そのようには、しませんし、一度もそれが、好きだったことはありません。
緊張や、まして痛みがそこにあるなら、それも、受け容れて、無理やり、変えようとしたり、
なくそうとは、しません。レットゴー(手放すこと)は、常に、くつろぎを通して起こります。
そして、そのくつろぎを、私たちが、サポートすることができます。

私のクライアントは、私にとって、クライアントではなく、セッションの間、
一つの旅を共にする友人なのです。 
その間、私は、消耗したり、疲れたり、退屈することは、決してありません。 
ですから、本当に、たくさんのセッションを行っています。
 
私は、一人一人のエネルギーフィールドの中にできる限り深く潜り、できるだけ多くの経験を積み、
私自身の意識と愛を広げていきたいと思っています。
それが、私に、非常に大きな満足感を与えてくれるのです。」

anubuddha mazagon
 
あなたの身体を愛しなさい
 
アヌブッダと彼の人生のパートナーであるアナーシャにとって、アルーンは、
“意識的なタッチのトレーニング”という以上のものです。

それは、ひとつの生き方であり、身体に、いかに、賢く栄養を与え、酸素を取り入れ、身体を動かし、
心をこめて身体の世話をし、清潔を維持するかといった、日常の中での身体との付き合い方を、
じっくりと吟味することでもあります。
自分のエネルギーや心に気に掛かっていることを、どのように、ケアするかが、問われます。
それゆえに、アルーンは、他者にボディワークをするというだけでなく、
どの人も、自分自身と他者に、どれだけ深い次元まで、触れることができるかが、
主要なテーマになります。

アヌブッダ「“あなたの身体を愛しなさい”という、和尚のメッセージは、彼の生きた時代には、
とんでもなく過激なものでした。そして、今日においては、まさに、目下の課題なのです。
どれだけ多くの人々が、不幸で、自分の身体とのコンタクトを失っていることでしょうか。
瞑想と愛こそが、今現在の世界で、最も、必要とされていること、
おそらく他の何よりも、緊急を要するものでしょう。 
私たちが、その一部の幾らかを担うことができればと願っています。」
 
アルーンの旅は、すでに、長く続いています。そして、アヌブッダとアナーシャにとって、
その旅に終わりはないでしょう。彼らの身体と呼吸がある限り。。
まだまだ、たくさんの神秘が、発見されるのを待っているのですから!

終わり
 
日本旅行
sky helshinki-nagoya
4月8日にセビリアの家を発ち
マドリードの友人アナ宅に一泊。
9日に日本への旅へ出発しました。

10日にセントレイアにdoudou jouonのオーナーの恭子ちゃんが迎えにきてくれており、その足で熱田神宮に参拝することができた。
LUCKY
不思議なことに熱田山の鳥居をくぐると、長旅の疲れもすーっと消え自分の中からエネルギーが再び目覚めてくるのがしっかりと感じ取れ、気持ちよかった。

熱田神宮 水神様

11日に両親と久しぶりに顔を合わせ、彼らの喜ぶ顔に、
わたしも「ここまで来たかいがあった。」と、ホッと一息。

夜は本当に久しぶりに古いソウルメイトのAshniと再開。
彼女とは会わなくても繋がっているとはいうものの、久しぶりに肉体を持って会えるのはうれしい限り。
今、彼女のしているヒーリングの仕事がとても大きなものだとこの日改めて実感した。

12日月曜日に名古屋から中津川の育ての親とも言える叔母の家に向かう途中に、恵那峡の温泉に立ち寄る。
本当は紅岩荘という温泉に行こうと思っていたが、恵那峡グランドホテルの看板が目に入ったので、ピピッとそちらに進路変更したのは大成功だった。
雨に打たれた桜のペールピンクと新緑のベールオリーブの山に青い川が流れ、そこに白い霧がたちこめた日本独特の風流な景色をながめながらの露天風呂に、身体も心も大変よろこんでいた。
日本の好きなところの1つ「露天風呂」

夕方、叔母の家に着くと好物の夕食がもう用意されてた。
炊き込みご飯とウリ漬け、タケノコの煮付け、新玉のサラダにみそ汁。
最高に美味しかった。
この叔母の家は、わたしの日本でのヒーリングスポット。
ただ食べて、散歩して、眠る。
まだ寒くの豆炭こたつが居間にはおいてあってそこでうとうとするのは最高に日本の気分。
骨まで寛いだ。
日本の好きなところの2つ目「こたつ」

だから次の日に仕事とリーラの待つ山梨に早めに出ようと思いつつ、タケノコを掘ったり、椎茸をとったりしていたので、出発は夕方になってしまった。

夜9時くらいに山梨県石和温泉に着き、翌日から仕事が始まった。
リーラはその忙しいスケジュールの合間に温泉やほうとうを食べに連れて行ってくれた。
ほうとうの然ることながら、蕎麦の味にはびっくり。
はじめのうちはほうとうを食べていたのだが、一度蕎麦をたべたらそれ以来蕎麦から離れられなくなった。
普段はローフード生活の私も日本ではちょっくら休憩。
日本の味覚に舌鼓をうった。
日本の好きなところの3つ目「旬の食」

名古屋 平和公園

17、18日はコース。
コース初日には4月には珍しい雪が降り、真っ白い風景に染まった石和の桃畑はコースの参加者と同じように清らかでlovelyだった。
本当に自分自身のハートの声を聞きたい人たち、自分自身のハートに従って生きたい人たち。
みんな一生懸命だった、一言一言大切に聞いていた。
そんな姿は私のハートをopenにさせた。
こういう人たちに巡り会えたのは今回の旅の宝だ。
みんなの目は時を過ごすごとにきらきらと輝きだした。
美しかった。
花が開花する時と同じように皆のハートの中にある美しい花が開花し始め芳香な香りをはなっていた。

19日大好きなDasoが忙しいスケジュールの合間に訪ねてくれた。
久しぶりに通訳なしでPranadaと3人で英語で大笑いをした。
その時にダソからプレゼントされた本に今はすっぽりはまっています。
「食べて、祈って、恋をして」
Dasoからいただく本はいつも私好みで読み終えるのがもったいないと思うくらい読んでいて楽しい。
日本の好きなところの4つ目「ダソがくれる本」
最高!

続きはまた明日。
with love kamala

春爛漫
guircinia
セビリアは100%春
ハルディナデムリジオの藤の花とジャスミンが満開で、それはそれは美しい。
自転車でわざと遠回りして色や香りを楽しんでいる毎日。
こうゆう時に生きてる幸せを感じる。

jasmin

毎日25℃を越えるから外を歩いているだけでモウ日焼けをしてしまう。
久しぶりにクラスメイトにあったら、ドイツ人で色が真っ白だったカルメンはきれいに小麦色になっていた。
「セビリアの太陽はきついから歩いているだけでこんなに焼けちゃったワー。」
とうれしそうだった。

私もそろそろシミ、そばかすを気にしないといけないのだと思いつつ、全くケアをできていない。はっきり言って、そばかすがあるくらいの方がいいかも?
と思ったりもするときがある。
これってただの言い訳だろうか?

花

明後日のフライトなので、明日はマドリードに向かう。
ここ数日、我家は電話と患者さんでてんてこ舞いの忙しさ。
たかが2週間家を離れるだけで、こんなにもいそがしものなの?

いつものように1週間前から始めほぼ完成しているモウとっく私の荷作りに加え、プラナーダの荷作りも手伝う。
人によってこんなにも違うものなのだなー。と感じながら...。
早めに荷物を作ってしまわないと足りないものとか必要なものとかが分からなく、最後にバタバタしてストレスになるのがきらいな私の性分と、いつもギリギリで、足りないものが出てきて、あー仕方ないねー。と言っているプラナーダののんきさ。
スペイン人と日本人の違いなか?これって。

そんな中で、外は真っ青の空にたくさんの花々が咲き乱れ、春爛漫。
忙しくてもつい、大した用事もないけど、出かける理由を作って春の香を満喫しに行く私。
今からも、自転車で公園を抜けて姉の家にいく予定。
今日はどんなお花が咲いてるのか楽しみ!

with love kamala


今日は

santa ana
santa ana1
ウエルバ州の山の中にサンタアナという滝があります。
先週、山歩きに行ってきました。
丁度桜が咲いて風流なひと時をすごしました。

santa ana4

プラナーダも自然の中に溶けていました。

santa ana3

ちなみに私はお葬式の帰りだったから。真っ黒でまるでコウモリ状態です。

santa ana5

下から観た時はたいした事ないと思ったけど、上まで登ったら先の先があり、
久しぶりに山道を歩き次の日は筋肉痛でした。
きれいな滝壺とかもあり、夏になったらまた水浴びに来たいと思いながら帰ってきました。

santa ana2


with love kamala
la semana santa photos
少し遅れましながら、セマナサンタの写真の一部です。

la samana santa

バルコニーから映した、家の町内のマリアさまです。
この神輿のお花(もちろん生花)もろうそくもは全て白。
ろうそく立てはちなみにシルバーです。

la semana santa2

白地にシルバーとゴールドの刺繍のしてあるローブをまとっています。
夜の方が幻想的できれいです。

la semana santa3

これは教会に帰る直前の写真です。
お顔が少しは見えますか?

with love kamala

Vitoria 写真
遅くなりましたが ヴィトリアにいた時の写真を紹介します。

vitoria sky

空の上から見たバスコ地域です。この日は雲が多く私の空の旅を楽しませてくれました。雲の中にいるのは何だか天使になったようでふわふわ綿菓子気分です。

vitoria land

寒々しかったけど、とても美し海岸でした。

vitoria bus

バスでビルバオ空港からの移動時間、深い緑に白い雪が印象的でした。

vitoria marina& anubuddha

グループオーガナイザーのマリナとアヌブッタです。
マリナは6ヶ月の妊婦さんですがすごいエネルギッシュでびっくりしました。
アヌブッタは妊婦のマリナと歩くのをとっても楽しんでいました。

with love kamala


ラ セマナ サンタ終了
punta puerto
1週間続いた la semana santaが今日で終了。
セビリアは静まり返っています。
シーン。

1日木曜日の午後から2日金曜日の午後までがクライマックスで28時間以上の儀式があり、エネルギーが強烈で、私はほとんど眠れなかった。

木曜から金曜にキリストが十字架に掛けられたときだったそうだが、7個の教会(ブラザーフット)からマリアさまとキリストさまの像がそれぞれ神輿でかつがれ、街中を巡ってセビリアのカテドラル(大聖堂)を通過し、それぞれの教会に帰って行く。どの神像もアンティークでかなり値打ちがあるものだといわれたが、値打ちとういよりは歴史をずっと重ねてきたエネルギーの強さを感じました。

家の町内の教会のマリアさまは、白のベルベットに金の刺繍がされたローブをまとい、そのローブでは陶器でつくられた天使たちがつけられていて、頬がコーラルに染まり、ピンク色の唇をしていて、かすかな微笑みに涙を浮かべられています。その涙は悲しみの涙ではなく、慈悲の涙だそうで、その神輿は金と白い100本にも近いろうそくと、白いバラで飾られて、特に夜の闇に映し出されるお姿は本当に美しい。
たぶんセビリアで一番すてきなマリアさまだと私は思います。
そのマリアさまの神輿のあとにはオーケストラが続き、そのオーケストラの全ての楽器を演奏する手にはロザリオがかかっています。
今年は家のバルコニーの下を通る時にトランペットのソロ演奏があり、感動。
マリアさまが教会に戻られる時にはソロのサンビアのカンタがあり、見物人の中には涙をこぼされている方も何人もみえました。

嵐の後の静けさに自分の内側を感じられる今日です。

with love kamala