輝く☆ スペイン・アンダルシア地方でのエピソードをご紹介します♪
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Tarifaでスッテンコロリン & my daily exercise
Tarifa Risas
それは2週間前。
少し曇った日曜日のタリファのビーチ。
少し肌寒かったのでウォームアップに、朝早くリサスと走った。
だが私のスピードが遅く、リサスが余裕をかまして足にまとわりついて来たので、私の足はからまって、スッテンコロリン。
左の膝を強く打って青あざになり、左の肘で自分の左胸の下の肋骨の辺りを強く打ったので、たぶんひびが入ったのだろう、
今も痛い。

イヤー、アティーシャのハート瞑想を始めたから、ハートがどんどん大きくなりたがって、自分の骨格では小さすぎるのか?
などとジョークまじりのマインドで思ったりもするが、
いつものようにヨガのストレッチをするとクラ〜とするから、大事にしてる。

だから最近は内部分泌線のためのエクササイズに変えているのだが、これが最高に良い!


私にピッタリのものに巡り会った感じでこころはウキウキ。
ランララン ランララン らんんららら ららららら〜

とっても簡単なので皆さんもどうぞ。

with love kamala


stardust
Lalita Rio
9月20日9時27分友人のその彼は星となった。

丁度、その前に気になって電話した。
その空間は愛に包まれていた。
最愛の人からの無条件でピュアなエネルギーの中で、
会話をしていて、私は彼女のことを誇りに思った。
そしてそんな愛を100%受け取る星となった友人を本当に幸せなやつだと思った。

何歳まで生きるかは問題ではない。
ただ、人として高い意識を保ちながらこの世をされるこの彼はなんて素晴らしい人生を生きたんだと感じた。

彼女と話しながら涙が来ては去って行くのを許した。

彼と彼女の存在のお陰で、私はアティーシャの瞑想の本当の意味を体感することができたし、距離とか時間を越えたエネルギーと接したこの数日間だった。

彼の49日が終わるまで続けようと思う。

彼の魂がより高く、高く、ロイヤルブルーの夜空できらきらと輝けるように。

永遠なる彼女からの無条件の愛。
人として出来る最高の愛を捧げた彼女に拍手喝采を贈りたい。
アティーシャの瞑想を彼女の愛に捧げよう。
そばに居て一緒に慰めたり、想い出話に花を咲かせたりしたいのだが、
海を挟んで離れている今はそれくらいしか出来ないのが悲しくも感じるが、
きっとハートの、瞑想のエネルギーを贈ることが一番だとも感じれるのだ。
平和なる愛のために、素晴らしい空なる甘い香りを漂わせている彼と彼女の存在に感謝を捧げよう。


Thank you Shanti Param & Shuniyam Subasika
peace & love kamala

アティーシャのハート瞑想
アティーシャの瞑想 Lalita
2−3日程前、深夜近くに、友人からメールをもらった。
彼女のパートナーが癌のために病院に入院したと・・・。

前から悪いとは聞いていたが、ショックだった。
しかもその入院した病院は、私の親友とも言える女性がやはり癌で入退院を4年程前に繰り返した所だったから、その時の記憶も蘇って来た。
その夜は眠れなかった。
ハートが痛くて、泣きたいけど、泣けない。
何かしたくても何ができるかわからない。

翌朝、隣りに寝ていたプラナーダも朝早く眼を覚ました。
「とても悲しい。多分とても古くから持っている悲しみだ。」と言っていた。
彼には友人のメールのことは話していなかったのだが、何か感じたのだろう。
わたしの涙は静かに流れおちた。

遠く離れた友人を思って、アティーシャのハート瞑想をした。
彼女のハートの痛みを吸って、私のハートで変容させ、ボジティブな光として息を吐き出す。
ゆっくりとそれを、自然な呼吸と共に繰り返した。
ハートの痛みが消えて行った。

次の朝も彼女のことが気がかりで目が覚めた。
だからやはりアティーシャのハート瞑想をした。

今朝もそうだった。
アティーシャのハート瞑想やはりしてみた。

そして友人にメールを書いた。
アティーシャのハート瞑想をしばらく続けようと思っていると。

彼女からとても美しいメールの返信があった。
それを読んで、涙が出て来た。

明日の朝もこの瞑想をしよう。


with love kamala



20歳のサニヤスbirthday
2011 Sep. 07 Kamala
今日9月7日はサニヤスbirthday
1991年の今日、丁度20年前にインドのプーネ、和尚コミューンでサニヤスをもらって以来、名前もBodhi Kamalaに変わり、人生も変わり、
今は光と陰の街セビリアで暮している。
その頃にはスペインで暮すなど想像もつかなかった。

丁度、つい先日、アルーンのインテンシブトレーニングの中で見た和尚のDVD
「禅は笑いから生まれた。」
というタイトルのマハカシャパの話しの中で、和尚は蓮について語っていた。
泥の中から生まれ高く太陽に向かって咲き、一滴も泥水をつけずに香しい大きな美しい花を咲かせる蓮は聖なる花と・・・。

この名をもらった時は、丁度ダンスとりバランシングのグループに参加している真っただ中だった。
サニヤスをもらうから午前中はグループに行かずにダイナミックの後ヒーリングアートの建物ピタゴラスの前の蓮池の前で瞑想していた。
沢山の蜜蜂が蓮の花の周りを飛び交い蜜をとっていた。
絵を描いている人もいたり、座禅を組んで座っている人も居た。
よく憶えている。
ブッタホールでは瞑想キャンプが3日間にわたって行われていた。
キャンプ中のサニヤスサレブレーション朝の10時から。
私はその時間にブッタホールに行った。
20人近くサニヤスをとる人がいたが私の名前はなかなか呼んでもらえなくて、待ちくたびれていたが、ダンスをしてまっていた。
そして最期から2番目に私は呼ばれた。
もう、ミディアムの前にすっ飛んで行った。
彼女は私の眼を見て後ろの和尚の写真の横に生けてある花瓶の中から花を1本プレゼントされ、
「Ma Bodhi Kamala- Awareness of the Lotus」
と言って彼女の両手をゆっくりと頭の上の方に上げて行ったら、私の両手もまるで鏡のように私が何もしなくても彼女の手について上がって行った。
びっくりして「what can I do?」と叫んだら、
彼女は自分の身体をすっと横によけて和尚の写真を見せてくれた。
私はそれにサレンダーした。
初めて聖なる崇高なエネルギーを実体験した日だった。
Bodhi Kamalaが生まれた日。

それから本当に素晴らしい20年を過ごした。
悲しみも喜びも全て強烈に体験した。

2011 Sep 07 Kamala

覚醒の蓮という名をもらった通り、
泥の中から毎シーズンきれいな大きな香り高い花を咲かせた20年だった。

これから先のことは全く見当もつかないのだが、この生ある限り、
瞑想と共に、この身体を大切に深く高く、精一杯楽しく生きよう。

このBODHI KAMALAと言う名にふさわしい人生を歩もう。

with awareness of the lotus    kamala


Arun Conscious Touch Breath 2011 Aug.
Arun 2011 08 Anasha

2011年8月の超インテンスなLastトレーニングでの私の偉大なるサポートは、アナーシャのブレスワークだった。

インテンシブトレーニングでは直接第一身体に触れるワークをする。

だから全身がふにゃふにゃに綿菓子のようになるのだが、そこにいたるまでに、今までにためて来たものを解放して行くプロセスがある。

ということは、私的表現をすると、本当に強烈な毒だしがある。

私も含めて。

 

昨日も書いた通り、最初の3日間程は、そのエネルギーの渦の中でいかにセンタリング出来るかがチャレンジなのだ。

そう3日間DEEPREDのアヌブッタのリードする背中や足に働きかけるワークが続いた。

はっきり言ってフラフラだった。

まだ7月のクラニオで繊細でOPENになっている脳にはインパクトがありすぎる日々だった。

 

そして、4日目にアナーシャのブレスがあった。

待ってました!

3日間山歩きをした後に温泉につかった気分。

Arun 2011 08 Anasha 1

私はアナーシャがブレスをシェアし始めた頃、ブレスが何のためのワークか全然わからなくて、何のためなのか?どう接したら良いのか?と思っていたのだが、ここ数年間、その繊細なワークが中枢神経に届いた時にそれが大好きになった。

タッチのヴィパサナ。

瞑想そのもののワーク。

サイレンスで、きめ細やかに背骨の奥深くまで浸透するブレス。

そのブレスの日以来、このトレーニングに飛び込んだ。

それまでの3日間は川にそっと入ろうと思っていても流れが強すぎて足をまだ川底から離せない自分がいた感じがする。

4日目のブレスの日にレットゴーし、川の流れと共にもまれながらも水と戯れた。

 Arun 2011 07 Anasha

アナーシャが最後にシェアする日にLUCKYにもモデルに選んでもらえた。

うれしかった。

他の参加者からのタッチも素晴らしいにだが、アナーシャのタッチはとてもソフトなのだか、しっかりとした、確信の持てるエネルギーがある。さすがもう何十年もこのワークを続けているだけあり、すごい。

CONSCIOUSNESS.

もし機会があるなら本当に1度は個人セッションを受けて欲しいと思う。

 

アナーシャのタッチで私の中枢神経は再び光と共にバイブレートし始めた感じがした。

その感覚は目をつぶってそこを感じようとすれば今でも蘇って来る。

この記事を書いている今でも・・・。

 

Les the breath come,

Les the breath go,

And wait, the next breath comes back own it’s own….

 

Thank you Anasha,

Thank you the existence.

☆〜kamala

 

Arun Conscious Touch 2011 Aug. in Spain
Arun 2011 08 2

終わってしまった。

アルーンを初めて以来、毎年あるはずだった夏のスペインでのトレーニングが終了してしまった。

7月が終わり、8月に入った時に、トレーニングが無くなるなど、信じられないと思っていたのに、時間は瞬く間に過ぎ。もう9月。

終了して1週間が経つ。

今回のベーシックは皆で一山も二山も越えた気がする。

もちろんインテンシブと名がついているように、超インテンシブな瞑想キャンプまでの一週間だったが、瞑想キャンプを機会にエネルギーが1つになった。そしたら早い。

Rising Rising UP.

 始まったばかりの3日目、私は今回初めて通訳の仕事無しで参加する友人のラサタに、「もう1週間程経ったような気がするよ。」といったら、ラサタも「そうだよね、あの7月のアドバンスは遥か彼方。このグループに入ってモウずいぶん経った気がする。」と言っていた。

そして、あまりのエネルギーの強烈さに、今この瞬間を一歩一歩、歩くしか道が観えていなかった。

地にしっかりと足をつけて。

それだけしっかりグラウンディングしたから、

嫌という程地上を這い回ったから、

飛ぶときは高く飛べるものだ。

 Arun 08

瞑想キャンプ中に、確かなエネルギーの変化を感じた。

皆が内に入って、静かに自分に戻って行った。

その翌日TAKE OFF!

スペースシップは地上から舞い上がり大空の彼方に浮かんだ。

星と共に。

皆の目にも星がきらきらとひかった。

アルーンコンシャスタッチと言う名のスペースシップの中で、笑い、歌い、踊り、触れ合い。

人として愛を分かち合った。

美しかった。

Arun 2011 08 1

 

最後に皆でアヌブッタとアナーシャは一人一人にさようならと手を取って、目を見つめて。

最後に皆で歌を歌った。

There is so much magnificence,

Near the Ocian.

Weaves are coming in

Weaves are coming in・・・

涙もひかり流れ、流れ星になった。

しばらく長いトレーニングをしないと言っていたが、本当なんだと受け入れた。

すんなりそれがハートに入った。

それを決めたのはアナーシャのお母様が今年の春亡くなったからだ。

彼女は今まで長い間休み無しにトレーニングを続けて来たが、静かに自分と向き合う時間が必要だと感じたらしい。

 

終了翌日の朝、ヘルパーの皆で後片付けをした。

マットもシーツもマッサージテーブルもすべて手放した。

きれいさっぱり。

 

1人で歩いて行く準備ができた夏だった。

アヌブッタとアナーシャの眼に見えない、よりサトルなエネルギーになった愛と共に。

with love & consciousness kamala